「“ファッションフード”のつくられ方」の報告

・講師:畑中三応子(オフィスSNOW代表)
・2013年12月16日(月)18:30~20:00
・於:東京ウィメンズプラザ会議室
・参加者:29名
・まとめ:木村滋子

畑中氏は、ファッションのように消費されるようになった流行の食べ物を“ファッションフード”と名づけ、領域横断的に分析したこのファッションフードについての膨大な資料を『ファッションフード、あります。』(紀伊國屋書店、2013)という一冊の本にまとめられた。今回は、このファッションフードについて、メディアとの関わりを中心にたどり、紹介していただいた。

■1970年代-本格的ファッションフード成立:チーズケーキ、ダイエット・健康ブーム

 ファッションフードの成立には、『アンアン』と『ノンノ』が大きく関わっている。食の趣味化とレジャー化の先頭に立った若い女性たちは、家庭内性別役割分業に揺さぶりをかけた。また、『アンアン』の女性が自己主張したような文体は“アンアン調”と称され、『ノンノ』など後続の女性誌にも波及した。
 最初で最大のヒット作は“チーズケーキ”である。このブームは瞬発的ではなく、長期にわたって続き、今日まで影響力を保っている。特筆すべきは、ダイエットブームと健康ブーム。70年の大ベストセラー『ミコのカロリーBook』(弘田三枝子、集団形星、1970)は、タレントダイエット本の元祖ともいえる。ダイエットという言葉が女性誌に出始めたのは73年くらいだが、同時にサラダがブームになり、現代まで続く本格的なダイエットブームが始まった。また、栄養神話系、あるいは不老長寿系ファッションフード史上、最大のヒット作は“紅茶キノコ”だ。社会現象とも言えるこの異常なブームをけん引したのは口コミの力だった。タネが人から人へとわたることによって猛スピードで広まる様子は、今のフェイスブックやツイッターとそっくりである。
メディアが仕掛けたブームに、日本人がいともたやすく踊らされた背景には、当時、ふくれ上がりつつあった成人病と肥満への恐怖があった。

■1980年代-飽食の時代:食べ歩き、フランス料理、エスニック料理、B級グルメ

 まず、ブームとなったのがフランス料理であった。『ホットドッグ・プレス』や『ポパイ』などがデートマニュアルとして機能した。こうした情報誌と別の方向でフランス料理のブランド感を強化したのが、文芸春秋の『くりま』や中央公論社の『シェフ・シリーズ』などの食文化ムックだった。知的に刺激的な内容で、これで食の魅力に目覚めた人は多い。シェフの名前で客を呼べるようになったのも、このブームからである。
 また、食べ歩きが大衆化した時代でもある。食べ歩きを指南したのは、全国都市部で創刊ラッシュだったタウン誌と、星の数ほど出版された食べ歩きガイドである。山本益博さんが“料理評論家”として引っ張りだことなり、専業の料理評論家やグルメライター、フードライターというジャンルが成立した。それまで料理にあまり興味のなかった男性や子どもたちにまで、グルメブームのすそ野を広げたのは漫画の『美味しんぼ』だ。“究極”という言葉が85年の新語大賞を受賞。累計発行部数は一億冊を突破している。
 フランス料理の次はエスニック料理のブームだった。ブームに先駆けて、82年に『食は東南アジアにあり』『東京エスニック料理読本』の二冊が出版されている。前者は、前半は食文化論、後半は各国料理のレシピ集という構成で、現地写真のリアルさは衝撃的であった。後者は、全くアプローチが違って、カルチュラル・スタディーズの手法で東京におけるエスニック文化を語り、ざらついたような写真も非常にユニークだった。私も82年に『エスニック料理 東南アジアの味』を作った。大判の料理写真とレシピ付きのエスニック料理本としては、日本で最初だったと思う。このブームと足並みをそろえ、多種多様な激辛商品が大ヒットした。この勢いがそのままドライビールブームに繋がった。B級グルメがヒットしたのも同じく80年代だ。この言葉を世の中に浸透させたのは87年に発売された文春文庫の『スーパーガイド東京B級グルメ』だった。

■1990年代-バブル~崩壊、栄養ドリンク、イタめし、ティラミス、もつ鍋、ラーメン

 バブルを象徴するブームの一つが、栄養ドリンクブームだ。第一次ブームは60年代だったので、第二次ブームとなる。男性中心だった栄養ドリンク市場に女性が参入して、美容効果を謳ったタイプが登場した。また、バブル真っ盛りの頃のイタめしブームはすさまじいものだった。西洋料理の居酒屋化現象である。イタめし人気の余波で生まれたのがティラミスブームだ。特集記事が掲載された『Hanako』の発売直後から若い女性がイタめし屋にどっと訪れ、はじめは嘲笑的だった男性週刊誌も特集や分析記事を組むようになり、あらゆるメディアをにぎわせた。素早く洋菓子店がカップ入りでテイクアウトできる形にしたことがブレイクスルーとなり、猛スピードで全国に普及し、一年後には大手メーカーのチョコレート、菓子パンなどの量産菓子に波及、ついにはコンビニデザートになった。このブームから、企業が意図的に仕掛けたファッションフードが目立って多くなった。メディアは躍起になってポストティラミスを探し求め、次々とスイーツブームが繰り返された。
 ポストバブルの外食では、モツ鍋の瞬発的なブームは忘れられない出来事だ。あれほど急激に起こって、あっという間に過ぎ去ったブームはほかにはない。博多で元祖といわれる店を作家の檀太郎さんが雑誌で紹介したことから知られるようになり、東京で最初の専門店が銀座にオープンしたのが90年6月。本格的なブームは92年に始まり、街に突如としてモツ鍋屋が林立。モツ鍋はその年の流行語大賞銅賞を取ったが、翌夏にはきれいさっぱり消えた。
 ローカルフードのなかで特に盛り上がったのは、ご当地ラーメンだった。各地のラーメンが首都圏に進出してくると同時に、主人の個性を強烈に打ち出したご当人ラーメンのブームも始まって、96年には食のテーマパーク第一号である『新横浜ラーメン博物館』もオープンした。このブームは、インターネットと結びついて、マニアックな情報の蓄積と拡散を進展させた。ラーメン評論家と呼ばれる異様に詳しいセミプロが雑誌やテレビで情報をリードする一方で、インターネット上では無数のマニアが情報発信した。現在の食べログなどでマニアックに批評するレビュアーの原型がここにある。

■2000年代-食のグローバル化:健康食ブーム、ダイエットブーム

 今世紀に入って食をめぐる不祥事が繁発し、食に対する社会的関心が高まった。ゼロ年代で顕著だったのは、過剰なまでの健康食への依存である。健康食ブームをあおったのは、第一にテレビで頻繁に放映された健康娯楽番組だった。これだけ食べれば痩せる、健康になる、と謳った一品ダイエット系食品のブームが続く。07年に起こった納豆ダイエットでは「発掘あるある大事典」の情報捏造があきらかになり、テレビの放送倫理にかかわる社会問題にまで発展した。

■2010年代-メディアのあり方の変化:口コミサイト

 インターネットで自分の興味のある情報に自由にアクセスできる今日では、流行は拡散しやすく、大ヒットは出にくくなった。
外食で影響力を持つようになったのは、05年開設の食べログだ。プロのフードライターがしがらみでつい紋切り型コメントを書いてしまいがちなのに対し、レビュアーは客だからしがらみがない。徹底した客の視点で書いた本音の口コミで、読む人は行ったことのない店の味や値段はもちろんのこと、店内のレイアウトから接客態度まで、サイト上でシミュレーションができる。以前は電話することも憚られるような一見さんお断りの料亭、超高級すし屋などでもレビューが必ず掲載されているので、もう怖くはない。社会的な立場や年齢を超越して、どんな店でも利用することを可能にし、外食を民主化、意地悪く言えば平板化したのが食べログだ。レビュアーも読まれることを意識して書いているから、文体や表現に研鑽を積んでいる人が多い。誰もが語ることができ、こと食に関して語りたい人が無数にいるインターネットのおかげで、プロのライターがいらなくなるかもしれない。そういう危機感を持たなくてはいけない。
 これからどんなファッションフードが世間をにぎわせるか、注意深く観察を続けたい。
    
      ☆

 畑中氏の講演の内容を、ごくごくかいつまんでご紹介した。
 年代ごとに、その時代の象徴的な出来事とともに追ったファッションフードの話に、思わず、その時代にタイムスリップしてブームの中にいる自分の姿がよみがえり、懐かしくもあり、また、どっぷりとブームにはまり踊らされていたその頃の情景に、苦笑いした。勉強会後の情報交換会では、さらに、「チーズケーキブーム」「瞬発的だったモツ鍋ブーム」「紅茶キノコの謎」などなど、各ブームの話題に当時を懐かしみ、皆、それぞれの青春時代に思いを馳せた。  

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