「職能集団をめざして」の報告

  • テーマ:“職能集団を目指して” -JFJ設立からの20年-
  • 講師:砂田登志子さん
  • 平成21年5月19日、18:30~20:00
  • 於:東京ウィメンズプラザ第2会議室
  • 参加者:11名

まとめ:西 妙子

「食の専門家」としての自覚と“志”事

2009年度の最初の勉強会の講師は、JFJ創立メンバーの一人で、食育ジャーナリストの第一人者、砂田登志子さん。食についての記事や番組、そこに携わるジャーナリストがなかなか評価されなかった時代に、どのような思いをもってJFJ設立に奔走されたのか。それから20年、フリーランスの立場で、いかに道を切り開いてこられたのか。その貴重なご体験を、佐藤代表による一問一答で伺った。

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砂田さんが『ニューヨークタイムズ』の東京支局に勤務していた1960年代、紙面には4Fと呼ばれる(Food、Family、Fashion、Furnishing)生活情報欄が充実しており、外食が増えれば「クッキング」より「ダイニング・アウト」と題する専門記事を数ページ毎週常設するなど、時代の変化に合わせた柔軟な頁作りが行われていた。つまり「メディア・リテラシー」「メディア・エコロジー」がしっかりしていたのだ。エコロジーとは環境問題という意味ではなく、メディアは社会環境の中でどういう存在で、どういう役割を果たしているか、ということである。

こういうしっかりした取材体勢で仕事をしている本社の編集仲間から、よく聞かれたのが「日本の長寿食」「健康によい日本食」についてだったが、当時の日本のジャーナリズムには、「食」の専門記者はいないし、情報を共有する横の組織もなかった。

そこで砂田さんは、アメリカで1941年に発足した「フードエディターズ&ライターズクラブ」をモデルとする組織作りを思い立った。アメリカでは、専門職のクラブには権威があり、尊敬されている。各都市のフードエディターの一言が、食品や料理の売り上げを左右するほどの影響力をもつ。もちろん全部署名記事である。

当時も、ニューヨークタイムズ東京支局は朝日新聞東京本社内にあって、朝日の記者だった村上紀子さんと交流があり、話を持ちかけたのがJFJ発足のきっかけとなった。砂田さんの目指す「食の専門家集団」(個人が自由にプロフェッショナルとして官僚と交渉したり、ライバル社の人間と連携して取材ができる仕組み)と、村上さんが志した「行政の受け皿としての組織」が形になったのだ。

しかし砂田さんが最も温度差を感じたのは、日米の「組織と意識」、「就社の国と就職の国」の違いだった。コミュニケーションも日本は一方通行の「ドッジボール型」で、「キャッチボール」にはなかなかならない。その根底には、根深いジェンダー問題が横たわっていると指摘する。

「日本のマスメディアは<オスメディア>どこの官庁や大企業でも、女というだけでイヤな思いをした」が、「それでも、組織があった方がプロフェッショナルな集団が育つ。会のメンバーが政府の委員会に出向いて発言し、それが官僚を目覚めさせるきっかけになるかもしれない。<気づくは築く>だから」と、政府の委員として発言したり、原稿を書き、著書も出版して、自己実現を目指す姿勢を崩さなかった。

‘70年代、日本で急激な為替変動が始まってドル建てでは東京の生活がきつくなると、3年間のボストン・コンサルティング・グループ研究員を経て、砂田さんはフリーになった。副業として環境問題の翻訳や通訳の仕事を始めたのをきっかけに、以後、PR誌、社内報、業界紙、地方新聞など、絶えずどこかの媒体にコラム欄を持ち、食の専門家の立場を維持してきた。その努力は「歯を磨く以上に自分を磨く、言葉を磨く努力を続けている。講演でもテレビでも―これからどうすればいいか―未来志向の話をするように心がけている。その発言が的を射ているから、今も政府の委員を続け、講演や原稿依頼がある」と自負。

講演では、子どもにもわかりやすい表現法(パワーポイントを使って世界中の映像を見せ、歌も歌い、アニメ、絵本、CDも多用)を発案し、誰にもできないオンリーワンを目指す。さらに、「学歴より食暦」「日本人は二本人に」「他老さん・自老さん」「仕事から“志”事へ」など、誰でもパッとわかるキーワードで聴衆の心をつかむ努力を続けている。

そして、30年来主張してきた食育が日の目を見た食育基本法成立後は、「食育をライフワーク」に特化、食育は「食の自立、孤立しない自立」の主張を貫いている。

最後に、ギャラの交渉が難しい日本で、フリーランスとして年間80~100本の講演と、40~50本のミニコラムを書き続けるエネルギー源を伺った。そのモットーは、
「仕事は続けなければダメ。どこかに<私はこういう者です>と発言できる場を確保しないと。伝える、繋げる、続ける──3つの<つ>が大事」

「口コミは1万枚のビラに匹敵する。常に全力投球して、いただいた金額よりたくさんお返しをするような、講演をするなり原稿を書くことが、リピートに繋がる。新しい話、楽しい話、面白い話をする、人気と結びつき、喜ばれる表現をする、工夫を凝らす」

生活の安定が得られなければ、メディアとしての優先順位と良心順位を守るジャーナリスト魂を、失うことになりかねないわけである。具体的なアドバイスの後は、
「日本にいつ女性首相がうまれるか。日本栄養士会が女性候補を立てても落選続きだが、日本に栄養士の資格保持者が80万人以上いるのに、なぜ票に繋がらないのか。どうして女が女をサポートしないのか。男が忠犬・女は番犬、みたいな上下関係コミュニケーションをどうやって変えるか。縦横斜めのしなやかな双方向コミュニケーショは成立しないのか。転職のたびにマイナスになるのはなぜか。プロフィールになぜ生年月日と学歴が必要なのか」
……と、舌鋒鋭い発言が続いた。

食のジャーナリストの立場から、女性や子どもの自立、自分の健康と経済は自分で守る、人間として生涯自立して生きることを問い続ける──JFJとしても切り込むべき多くの課題をいただいた90分だった。

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