「すし職人 アメリカで教える『グローバルフードの最前線』」の報告

講師:柳原雅彦氏(目黒・すし独楽店主)
聞き手:重金敦之氏(文芸ジャーナリスト・JFJ会員)
平成22年11月29日(月) 18:30~20:00
於:東京ウィメンズプラザ会議室
参加者:27名
まとめ:佐藤達夫

 平成22年最後の勉強会は、10月22日から11月2日にかけて、国際交流基金・日本文化紹介派遣事業で、アメリカに日本の「すし」と「だし」を教えに行ったすし職人・柳原雅彦さん(写真:左)にお話を伺った。聞き手は、JFJ会員で文芸ジャーナリストの重金敦之さん(写真:右)。重金さんはロングセラー『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)の執筆者でもある。
 勉強会は、柳原さんが写真を見せながら現地のレポートをし、そのあと、二人の対談形式で行なわれた。

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重金──柳原さんは「すし屋を変えた人」だと思っています。つまり、すし屋というのはすしを食べるだけではなく、酒を飲みながらつまみを食べて仕上げにすしを食べる、という食べ方を定着させた人だし、店内にすしはもちろんすべての料理の値段を明瞭に示すということを試みた人です。
 今回は、アメリカの人たちにすしの何を伝えに行ったのですか。
柳原──アトランタ、ヒューストン、ナッシュビル、ボストンの4ヶ所で、「すし」と「だし」を伝えに行きました。
重金──すしもだしも水が肝心ですが、アメリカにいい水はありましたか。
柳原──アメリカでは飲み水は基本的にはミネラルウォーターなので、種類がいろいろあって、合う水を探すのに大変に苦労しました。米と魚も現地で調達したのですが、思っていたよりは良い品質でした。イクラなどは塩蔵技術も冷凍技術も素晴らしく、日本のイクラよりもいいくらいでした。
重金──料理としては何を作ったのですか。
柳原──どの地区でも主として、ヒラメの昆布じめとウナギとスモークサーモンの箱ずし、サバの棒ずし、ばら寿司、カキの茶碗蒸し、カキの炊き込みご飯、だし巻き卵などを作りました。
重金──アメリカの人にとってすしといえば巻きものとにぎりだと思うのですが、にぎりずしは作らなかったのですか。
柳原──ヤッパリそういうイメージがあるらしくて、箱ずしなんかを作っていると、「にぎりはできないのか?」というムードになってくるので、「本職はにぎりだ」という感じで(笑)、マグロのにぎりを作りました。OH!と納得してくれましたね(笑)。
重金──箱ずしや棒ずしを中心にしたのには何か理由があってのことでしょうか。
柳原──私としては「料理としてのすし」ということよりも、「すしの歴史」を伝えたかったんです。江戸前のにぎりずしよりも、押しずしのほうが歴史がずっと長いし、そもそもすしのはじめはフナの保存食としてスタートした琵琶湖の鮒鮨です。そういうことを伝えたかったのです。
重金──だし巻き卵や茶碗蒸しのような調理法はアメリカにはないので、教えるのに苦労したのでは?
柳原──そのとおりです。オムレツのようにクリームやバターと卵との相性を説明するところから入りました。そして、卵とだしという同じ材料でも、割合を変えることによってだし巻き卵になったり茶碗蒸しになったりするというように説明していきました。
重金──それは説得力のある教え方でしたね。ところで、日本とアメリカのすし文化の違い、というようなことは感じましたか。
柳原──すしというのは、鮒鮨からにぎりずしへの変遷を見てもわかるように、千年という長い時間の経過を経て、大きく変化してきました。アメリカでカリフォルニア巻きが誕生したように、その土地にはその土地にあったすしがあっていいのではないかと思います。水も米もネタも気温も湿度も、調理する人も食べる人も違うわけですから、日本のすしだけがすしなのではないと思います。もちろん日本人には日本のすしがいちばん合ってるしおいしいと確信してますが・・・。
重金──こういう柳原さんの「柔軟なところ、寛容なところ」が日本のすしを変え、世界のすしも変えていくのだろうと思います。これからもその場所・空気にあったすしを工夫し、すしをグローバルフードとして広めていってほしいと思います。きょうはありがとうございました。
    
 このあと、衛生面や民族による味覚の違いや健康観等、さまざまな質問が出て、90分以上にわたる充実した勉強会を終えた。一部始終を掲載することはできないので、ごく一部を紹介した。(佐藤)

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