2017年11月14日 2017年度西日本支部 第4回勉強会の報告

「食と農から考える人類の未来」

・講 師:藤原辰史 氏(京都大学人文科学研究所准教授)農業思想史 
・会 場:辻調理技術研究所 
・参加者:31名
・まとめ:小山伸二

これからの人類の未来を「食」の視点から考えるというテーマで、京都大学の藤原辰史先生をお迎えしてお話を聞きました。
藤原さんは、農業史研究者として、独自の視点から20世紀の歴史、農業、食を考察し、『ナチスのキッチン』、『戦争と農業』、『トラクターの世界史』などの著作で注目を浴びている新進気鋭の歴史学者。
今回は、そんな「藤原史観」から、人類の食の未来を語っていただきました。

■「食」をめぐる三つの未来像
考えられる食の未来像として3つの図版が提示され、食「文化」の不在の未来像の不気味さについての話が始まった。
まず、ネットでも話題になった「三等階級国民食」と名付けられたディストピア食。
コンビニで売られている機能性食品、サプリメント、スナック菓子だけで構成されたランチボックス。すでに食が、ただ空腹をみたすためだけものになってしまう「未来」が現在進行形なのかもしれないという指摘。
2つ目は、画家の石田徹也が描いたガソリンスタンドのようなカウンターで、まるで自動車の給油のように食べ物を流し込まれる男たちの絵。人間が食事を摂る行為が、自動車の給油と同じだというのは、実は、すでにファストフード店あたりの光景にかさなるのではないか。
そして、3つ目は、SF小説『ねじまき少女』(パオロ・バチガルピ著)で描かれた、エネルギーと食糧(遺伝子組み換え植物の種子)の独占企業が世界を支配する世界。文化としての多様性を奪われたディストピア小説。
以上の3つに共通する暗い人類の食をめぐる未来は、「食」の工業化、画一化、脱「文化」化が、すでに現在進行形なのではないかという危機意識を強くわれわれに教えてくれる。そういう意味で、研究者として、そうではない「もうひとつの世界」を構想するために、研究と行動が求められている、という自らのスタンスを明確にした上で、3冊の本の紹介に(彼の大学での授業では、さかんに本を紹介することで受講者の自発的な学びをうながす手法をとっているそうだ)。

■歴史的な背景をさぐる
食と農の未来を考えるうえで、いま読むべき3冊の本を紹介。

①『戦争がつくった現代の食卓』(アナスタシア・マークス・デ・サルセド著/白揚社)は、アメリカ陸軍の食糧(レーション)の開発から20世紀のさまざまな加工食品が生み出された実態をレポートした問題作。戦争という非日常での食べ物が、ごくありふれた日常の食べ物になっている実態が明らかにされる。
②『モンサント』(マリー=モニク・ロバン著/作品社)は、世界の農業に大きな影響力を持つバイオ化学企業、モンサントをめぐる話。ベトナム戦争時代に枯れ葉剤を作ったことで知られるこの大企業の遺伝子組み換えなどテクノロジーがもたらす世界を紹介。たんに、人間に害があるかないかだけではとらえられない、食と生態系についての視点が必要だという指摘。
③『世界からバナナがなくなるまえに』(ロブ・ダン著/青土社)は、20世紀の農業が人口爆発に対応するための大量生産にシフトすることで拡大した農薬と化学肥料の使用と、作物品種の画一化が、いまなお根強く、進行していることに警鐘を鳴らしている著作。
この3冊を通して、現在進行形の「食」をめぐる諸問題を、単に「現在」の人間の体に良い悪いか、餌としての食糧供給システムさえ確立すればいいという観点ではなく、「未来」を見据えた生態系的な意識、持続可能な地球規模の文明論的な視野を持つ必要性がある、と。

■考えられる未来
これからの時代、ますます食事は合理化、軍隊化、画一化、簡便化、工業化していくだろう。そのことに少しでも歯止めをかけるためにも、各地域に残された在来作物の保全や大手種子メーカーに頼らない種子の保全のような活動は重要になる。さらには、経済原理最優先の社会を変えるためにも、食文化の未来は、現状のままでは、まさにディストピア小説の世界そのものなるという危機感を、多くのひとが共有すべきである。
そのために、食にかかわるそれぞれの立場のひとたち(生産者、加工、流通、小売り、外食/給食、研究者、教育機関、行政)が、自分のできるところから考え、連携し、行動する必要がある。
地域が抱える食の問題を、単なる自己責任論的に閉じられた個々の家庭や個人の問題にするのではなく、「公衆食堂」のような概念をも構想しながら、新しいコミュニティの場所としての「食事の場所」の創出を考えるべきではないか。

■質疑応答、そしてまとめ
今回の勉強会は西日本在住の会員の他、一般の方に交じって会場になった辻調の学生たちも多数、参加してくれた。将来、プロの料理人になる彼らから、理想的な食の未来を実現するために、具体的にどういうアクションが必要になるのか、という質問が飛んだ。さらに、現在の社会システムがすでに誰かの犠牲の上に成り立っているのならば、未来において現在の諸課題が解決しても、また違う部分で誰かが犠牲になるのではないか、という質問まで。こうした真摯な質問に対して、藤原さんは、歴史の研究を通して描く「より良き」未来の実現には、もちろん多くの障害があるし、そもそも人類の「食べる」という歴史は、何者かの犠牲の上に成り立っているわけで、それでも、最終的には一部の人間を犠牲にすることでしか成り立たない社会システムからの脱却の努力は怠ってはいけない。そして、フェアで、だれのことも見捨てない社会の実現に向かって、それぞれの立場で、可能なことを模索しつづけ、連携を探る必要性があるのではないか、と応えた。

あくまでも物静かな語り口のなかに、研究者としての藤原先生のなみなみならぬ情熱と誠実さを感じた講演でした。
食の未来について、歴史に学びつつ、より大きな視野を持つことと、目の前のできることから実践していくことの重要性をあらためて実感することができました。